2012.03.30
院生室からの撤収完了。
5年間分の荷物を片付け、ラボの机が「研究所に来た時」の状態に戻りました。なかなか感慨深いです。

自分の卒業の気分にぴったりな曲を貼って、学生としてのブログ記事のラストにしたいと思います。お世話になった皆様、有り難うございました。

自分の卒業の気分にぴったりな曲を貼って、学生としてのブログ記事のラストにしたいと思います。お世話になった皆様、有り難うございました。
2012.02.14
指導を受ける者の作法
(同じ研究室の後輩に向けです。他の研究室にも言える事かもしれませんが、ボスの人格によっては有効でない場合もあります。ご了承下さい。)
指導教員(以下、先生)からどのように指導を受けるのが良いか、研究室でどう暮らして行けば良いのか、という問題はとても重要だと思うのですが、あまり公に議論される事がありません。先輩方から飲み会の席で断片的に有効な助言を頂く事はあっても、断片的であるが故に上手く適用できなかったり、自分達のグループには当てはまらなかったりします。
そこで、自身が卒業を控えた今、後輩の皆さんに向けて
「自分を成長させるために、どのように振る舞うのが効果的か」
という点に関して、私の考えを記しておきたいと思います。
(私がこうしてきた、という事だけでなく、「こうすれば良かったなぁ」という自戒も含めて書きました。)
最優先で学ぶべきは、「考え方」である
「ものを考える」とはどういう事か、実感し、身につけて下さい。論理的であるとはどういう状態を言うのか、仮説をたてて検証するとはどういう行為なのか、目の前にいる先生という実例から学ぶのです。科学者である先生の言動が最も良い教材だと思います(シチュエーションによっては、反面教師になる場合もありますが)。
何が面白くて、何が面白く無いのか、正直に伝える
モチベーションを偽ってはいけません。取り組んでいる研究が自分にとって好ましいのか、そうでないのか、きちんと伝えましょう。勿論そのためには、自分が「何をやりたい」のか分かっていなければなりません。自分に合わない点を具体的に伝えられれば、先生は内容に応じて一緒に解決策を考えてくれるはずです。最悪なのは、あれやこれやと理由をつけて、結局研究そのものが進まない事です。やりたくないテーマに時間を浪費するより、やりたいテーマを研究まで押し上げる事に労力を使いましょう。
研究の「種」は自分で用意する
M1の段階で、0から研究テーマを構築できる人は稀でしょう。ですが、少なくとも大学院にいるうちに、研究の「種」を自分で用意できるようになる必要があります。そのためには、何が学問的に明らかになっておらず、どんな研究テーマが成立し得るのか自分で判断出来るようになる必要があります。先生の興味の対象は、無限に広い訳ではありません。また、それに合わせなければいけない訳ではありません。先行研究を吸収し、自分で種を見つける事を目指しましょう。
武器を持ち、鍛える
自分に合った武器(実験・シミュレーション・etc...)を持ち、それを鍛える必要があります。最初に出会った研究テーマは、自分にどんな武器が合っているのか判断するチャンスです。武器が合っていると感じれば、大いにそれを鍛えて下さい。合わないと感じたら、思いきって武器を交換するのも手です。(ちなみに私は「コーディング」という作業が好きではないのですが、これは研究で使ってみて初めて実感した事です。一方、実験装置をいじったり、大量の観測データを整理するのは楽しいと感じました。)
大事なのは、武器は先生が用意してくれるものでは無いという事です。自分で探す必要があります(ただし、先生が「こんなのどう?」と提案してくれる事はあります)。
対等に議論する
先生に「出来る」と言われたら、本当にそうか自分で確かめましょう。先生に「出来ない」と言われても、自分で確かめましょう。先生を「外部脳」のような存在と考えるのが良いと思います。自分では気付かない間違いを指摘してもらったり、自分のユニークな点を明らかにするために、先生との議論を使いましょう。「こまめに」「自分から」議論しに行きましょう。
対等という事はすなわち、上手くいかない時も責任は自分で負うという事です。「最後は自分で判断したのだ」という気概があれば、ネガティブコメントに対しても最後まで闘えます。「先生が言ったから、こうやりました」という人は、逆境にとても弱いです。
幸い私達の先生は、自分の判断でしくじった学生を、無条件に見捨てたりはしなさそうなので、安心して自分で判断して下さい。(しくじって先生に助けてもらえなかったら・・・まあドンマイです。)
あと関連して、何かに取りかかる「前」に議論するようにしましょう。とりあえずやってみたものの、自分が気付かなかった問題点のせいで意味が無かった、なんて事態は避けたいですし。先生に無理と言われたらやめろ、という事ではありません。クロスチェックの機会は増やした方が良いという事です。
短期間で80%のものを作り、それをたたき台にする
ご存知のとおり、先生のレスポンスは決して早くありません。また学生数が多い現状(10人 / 教員)では、一人の学生に割ける時間は単純計算でMAX 3days/month です(大学運営業務などを考えると、もっと少ない)。ひと月に3日弱しか無い時間を、有効に使わなければなりません。
締め切りの2週間前に、80%程度の品質のものを見せられるようにしましょう。例えば学会の予稿なら、執筆に取りかかる前に全体の構成を相談します(指導1日分)。構成が決まったら一気に書き上げます。もう完成に近いなと自分で思える品質になったら、赤を入れてもらいます(指導1日分)。赤を入れてもらうのに時間がかかるかもしれないので、なるべく早めに見せなければなりません。赤が入って帰ってきた原稿を推敲し、先輩や同期にも見せて推敲を重ねます。自分では完璧になったなと思ったものを、先生に見せます(指導1日分。これでひと月分の指導3日分を使い切る)。推敲はある程度回数を重ねないと良くなりません。よって、スタートダッシュが肝心です。未熟な時ほど、急がねばならないのです。
自分を賢く見せようとしない
身の丈にあった指導を受けましょう。分からない事があったら、どこまでは理解できてどこから分からないのか、具体的に伝えましょう。分不相応に自分を賢く見せようとしてはいけません。あなたの知的水準に応じて、それに合った指導を先生がしてくれるはずです。
失敗の内容も議論しましょう。決して上手くいっているふりをしてはいけません。問題の発見が遅くなれば、対応も遅れ、結局自分が困った事になります。ひと時の自尊心より、長期的な成長に重点を置きましょう。
スケジュールを管理する
自分の研究ペースは、自分でコントロールしましょう。今日は何をするのか、今週は何をするのか、今年は何をするのか、たとえ予定どおりにいかないものだとしても、予定をたてましょう。
催促されなくても、自分で必要だと思ったら報告しましょう。先生の頭の中の大部分は、あなた「以外」のことで占められています。こちらからリマインドしなければなりません。
先生の予定を把握しましょう。いつ忙しくなるのか(いつ指導を受けづらくなるのか)を考慮に入れて、自分の予定を立てて下さい。
外に出て、共同研究者を見つける
先生経由でも、学会発表をきっかけでも、論文きっかけでも、とにかく外部に共同研究者を見つける事を目指しましょう。PD先に繋がる可能性もありますし、自分の研究がコラボレーションによってより高いレベルに到達する事もあるでしょう。
私個人の経験では、研究集会で前から論文を読んでいた人に自分の研究をアピールしに行き、それがきっかけで共同研究をして、それが論文になった事があります(Spigaさんとの研究ですね)。さらにその論文を読んだ別の人から、学会にinviteされた事がありました(結局、その学会には日程と予算の問題で参加できませんでしたが)。
発信しなければ、繋がるきっかけが生まれません。幸いうちのグループでは、学会で発表するか否かを先生が強くコントロールする事は無いのですから、積極的に外に出て行きましょう(ただし、資金は自分で確保して下さいね)。
文章の書き方を独学する
日本語・英語の書き方をもう一度勉強し直しましょう。論文はエッセイでは無いので、ある程度決まった形式があります。また、論理的な文章を書くためのコツも、ある程度はあります。『日本語の作文技術』など、論文執筆に役立つ参考文献は多いです。ぜひ色々と読んで実践してみて下さい。
申請書類の書き方を学びましょう。特に気をつけて欲しいのは、先生が「これで良いのでは」と言う時、それは内容や論理構造に関してのコメントである事が多いという事です。逆に言えば、それ以外の部分では突っ込みどころ満載の可能性があるということです。申請書は他人が読むものなので、読む人にとって理解し易いものである必要があります。先生からOKが出た後も、「伝わる」申請書にするための推敲を続けて下さい。
掃除をする
一部の天才を除き、身の回りが散らかっている人は、だいたい頭の中もとっ散らかっています(うちの先生は天才側です)。机の周り、Macの中、実験ノート、実験室、どこもきちんと掃除して整理しましょう。
実験において、散らかっている事は事故やミスの原因になります。また、身の回りが散らかっていると、「あれどこだっけ」と探す時間の無駄が生じます。何より、何かを考える時、目に入ってくる物が散らかっていると、思考が阻害されます(これはあまり実感が無いかもしれませんが、ぜひ比べてみて下さい)。
他人と比べず、過去の自分と比べる
同僚の研究進捗状況と、自分のそれを比べて一喜一憂するのはやめましょう。研究成果がいつ実るか、どの程度の実りになるか、「ほぼ」あなた自身の責任です。が、あなた「だけ」のせいではありません。
あなたの研究がすぐ論文になったからと言って、それは必ずしもあなたの業績では無いかもしれません(先生の着眼点が良かった、協力者がいた、etc...)。あるいはなかなか結果が出ないからといって、あなたが無能とは限りません(他のだれがやっても困難な課題である、我々のグループの実験設備では足りない、etc…)。
大事なのは、「過去の自分と比べて成長しているか」ということです。1年前や1ヶ月前や1週間前の自分と比べ、論文をちょっと上の目線から読めるようになっているか?実験計画を自分でたてられるようになってきたか?知識が増えたか?実験技術が向上したか?共同研究者との議論についていけるようになったか?
そういった、自分自身の「変化」に敏感になって下さい。
「成長した自分」を得るには、「過去の自分との差」を積み重ねていくしか無いのです。
以上、とりとめも無くつらつらと書きました。小姑的コメントではありますが、全て私が心の底から「しておいて良かった」か「しておけば良かった」と思っている内容です。研究環境があなたにとって充実して実りあるものになるかは、「ほぼ」あなた次第です(全責任があなたにあるとまでは言いません)。皆さんの人生の中で、大学院が過ごした時間が良い学びの場になる事を祈ります。
指導教員(以下、先生)からどのように指導を受けるのが良いか、研究室でどう暮らして行けば良いのか、という問題はとても重要だと思うのですが、あまり公に議論される事がありません。先輩方から飲み会の席で断片的に有効な助言を頂く事はあっても、断片的であるが故に上手く適用できなかったり、自分達のグループには当てはまらなかったりします。
そこで、自身が卒業を控えた今、後輩の皆さんに向けて
「自分を成長させるために、どのように振る舞うのが効果的か」
という点に関して、私の考えを記しておきたいと思います。
(私がこうしてきた、という事だけでなく、「こうすれば良かったなぁ」という自戒も含めて書きました。)
最優先で学ぶべきは、「考え方」である
「ものを考える」とはどういう事か、実感し、身につけて下さい。論理的であるとはどういう状態を言うのか、仮説をたてて検証するとはどういう行為なのか、目の前にいる先生という実例から学ぶのです。科学者である先生の言動が最も良い教材だと思います(シチュエーションによっては、反面教師になる場合もありますが)。
何が面白くて、何が面白く無いのか、正直に伝える
モチベーションを偽ってはいけません。取り組んでいる研究が自分にとって好ましいのか、そうでないのか、きちんと伝えましょう。勿論そのためには、自分が「何をやりたい」のか分かっていなければなりません。自分に合わない点を具体的に伝えられれば、先生は内容に応じて一緒に解決策を考えてくれるはずです。最悪なのは、あれやこれやと理由をつけて、結局研究そのものが進まない事です。やりたくないテーマに時間を浪費するより、やりたいテーマを研究まで押し上げる事に労力を使いましょう。
研究の「種」は自分で用意する
M1の段階で、0から研究テーマを構築できる人は稀でしょう。ですが、少なくとも大学院にいるうちに、研究の「種」を自分で用意できるようになる必要があります。そのためには、何が学問的に明らかになっておらず、どんな研究テーマが成立し得るのか自分で判断出来るようになる必要があります。先生の興味の対象は、無限に広い訳ではありません。また、それに合わせなければいけない訳ではありません。先行研究を吸収し、自分で種を見つける事を目指しましょう。
武器を持ち、鍛える
自分に合った武器(実験・シミュレーション・etc...)を持ち、それを鍛える必要があります。最初に出会った研究テーマは、自分にどんな武器が合っているのか判断するチャンスです。武器が合っていると感じれば、大いにそれを鍛えて下さい。合わないと感じたら、思いきって武器を交換するのも手です。(ちなみに私は「コーディング」という作業が好きではないのですが、これは研究で使ってみて初めて実感した事です。一方、実験装置をいじったり、大量の観測データを整理するのは楽しいと感じました。)
大事なのは、武器は先生が用意してくれるものでは無いという事です。自分で探す必要があります(ただし、先生が「こんなのどう?」と提案してくれる事はあります)。
対等に議論する
先生に「出来る」と言われたら、本当にそうか自分で確かめましょう。先生に「出来ない」と言われても、自分で確かめましょう。先生を「外部脳」のような存在と考えるのが良いと思います。自分では気付かない間違いを指摘してもらったり、自分のユニークな点を明らかにするために、先生との議論を使いましょう。「こまめに」「自分から」議論しに行きましょう。
対等という事はすなわち、上手くいかない時も責任は自分で負うという事です。「最後は自分で判断したのだ」という気概があれば、ネガティブコメントに対しても最後まで闘えます。「先生が言ったから、こうやりました」という人は、逆境にとても弱いです。
幸い私達の先生は、自分の判断でしくじった学生を、無条件に見捨てたりはしなさそうなので、安心して自分で判断して下さい。(しくじって先生に助けてもらえなかったら・・・まあドンマイです。)
あと関連して、何かに取りかかる「前」に議論するようにしましょう。とりあえずやってみたものの、自分が気付かなかった問題点のせいで意味が無かった、なんて事態は避けたいですし。先生に無理と言われたらやめろ、という事ではありません。クロスチェックの機会は増やした方が良いという事です。
短期間で80%のものを作り、それをたたき台にする
ご存知のとおり、先生のレスポンスは決して早くありません。また学生数が多い現状(10人 / 教員)では、一人の学生に割ける時間は単純計算でMAX 3days/month です(大学運営業務などを考えると、もっと少ない)。ひと月に3日弱しか無い時間を、有効に使わなければなりません。
締め切りの2週間前に、80%程度の品質のものを見せられるようにしましょう。例えば学会の予稿なら、執筆に取りかかる前に全体の構成を相談します(指導1日分)。構成が決まったら一気に書き上げます。もう完成に近いなと自分で思える品質になったら、赤を入れてもらいます(指導1日分)。赤を入れてもらうのに時間がかかるかもしれないので、なるべく早めに見せなければなりません。赤が入って帰ってきた原稿を推敲し、先輩や同期にも見せて推敲を重ねます。自分では完璧になったなと思ったものを、先生に見せます(指導1日分。これでひと月分の指導3日分を使い切る)。推敲はある程度回数を重ねないと良くなりません。よって、スタートダッシュが肝心です。未熟な時ほど、急がねばならないのです。
自分を賢く見せようとしない
身の丈にあった指導を受けましょう。分からない事があったら、どこまでは理解できてどこから分からないのか、具体的に伝えましょう。分不相応に自分を賢く見せようとしてはいけません。あなたの知的水準に応じて、それに合った指導を先生がしてくれるはずです。
失敗の内容も議論しましょう。決して上手くいっているふりをしてはいけません。問題の発見が遅くなれば、対応も遅れ、結局自分が困った事になります。ひと時の自尊心より、長期的な成長に重点を置きましょう。
スケジュールを管理する
自分の研究ペースは、自分でコントロールしましょう。今日は何をするのか、今週は何をするのか、今年は何をするのか、たとえ予定どおりにいかないものだとしても、予定をたてましょう。
催促されなくても、自分で必要だと思ったら報告しましょう。先生の頭の中の大部分は、あなた「以外」のことで占められています。こちらからリマインドしなければなりません。
先生の予定を把握しましょう。いつ忙しくなるのか(いつ指導を受けづらくなるのか)を考慮に入れて、自分の予定を立てて下さい。
外に出て、共同研究者を見つける
先生経由でも、学会発表をきっかけでも、論文きっかけでも、とにかく外部に共同研究者を見つける事を目指しましょう。PD先に繋がる可能性もありますし、自分の研究がコラボレーションによってより高いレベルに到達する事もあるでしょう。
私個人の経験では、研究集会で前から論文を読んでいた人に自分の研究をアピールしに行き、それがきっかけで共同研究をして、それが論文になった事があります(Spigaさんとの研究ですね)。さらにその論文を読んだ別の人から、学会にinviteされた事がありました(結局、その学会には日程と予算の問題で参加できませんでしたが)。
発信しなければ、繋がるきっかけが生まれません。幸いうちのグループでは、学会で発表するか否かを先生が強くコントロールする事は無いのですから、積極的に外に出て行きましょう(ただし、資金は自分で確保して下さいね)。
文章の書き方を独学する
日本語・英語の書き方をもう一度勉強し直しましょう。論文はエッセイでは無いので、ある程度決まった形式があります。また、論理的な文章を書くためのコツも、ある程度はあります。『日本語の作文技術』など、論文執筆に役立つ参考文献は多いです。ぜひ色々と読んで実践してみて下さい。
申請書類の書き方を学びましょう。特に気をつけて欲しいのは、先生が「これで良いのでは」と言う時、それは内容や論理構造に関してのコメントである事が多いという事です。逆に言えば、それ以外の部分では突っ込みどころ満載の可能性があるということです。申請書は他人が読むものなので、読む人にとって理解し易いものである必要があります。先生からOKが出た後も、「伝わる」申請書にするための推敲を続けて下さい。
掃除をする
一部の天才を除き、身の回りが散らかっている人は、だいたい頭の中もとっ散らかっています(うちの先生は天才側です)。机の周り、Macの中、実験ノート、実験室、どこもきちんと掃除して整理しましょう。
実験において、散らかっている事は事故やミスの原因になります。また、身の回りが散らかっていると、「あれどこだっけ」と探す時間の無駄が生じます。何より、何かを考える時、目に入ってくる物が散らかっていると、思考が阻害されます(これはあまり実感が無いかもしれませんが、ぜひ比べてみて下さい)。
他人と比べず、過去の自分と比べる
同僚の研究進捗状況と、自分のそれを比べて一喜一憂するのはやめましょう。研究成果がいつ実るか、どの程度の実りになるか、「ほぼ」あなた自身の責任です。が、あなた「だけ」のせいではありません。
あなたの研究がすぐ論文になったからと言って、それは必ずしもあなたの業績では無いかもしれません(先生の着眼点が良かった、協力者がいた、etc...)。あるいはなかなか結果が出ないからといって、あなたが無能とは限りません(他のだれがやっても困難な課題である、我々のグループの実験設備では足りない、etc…)。
大事なのは、「過去の自分と比べて成長しているか」ということです。1年前や1ヶ月前や1週間前の自分と比べ、論文をちょっと上の目線から読めるようになっているか?実験計画を自分でたてられるようになってきたか?知識が増えたか?実験技術が向上したか?共同研究者との議論についていけるようになったか?
そういった、自分自身の「変化」に敏感になって下さい。
「成長した自分」を得るには、「過去の自分との差」を積み重ねていくしか無いのです。
以上、とりとめも無くつらつらと書きました。小姑的コメントではありますが、全て私が心の底から「しておいて良かった」か「しておけば良かった」と思っている内容です。研究環境があなたにとって充実して実りあるものになるかは、「ほぼ」あなた次第です(全責任があなたにあるとまでは言いません)。皆さんの人生の中で、大学院が過ごした時間が良い学びの場になる事を祈ります。
2012.02.14
私が博士(理学)を取得して広告会社に就職する理由
惑星科学の研究者を志し博士号を取得してまで、何故民間の、それも広告会社に就職するのかとよく聞かれます。聞かれたら説明するようにしていますが、全ての人に説明出来る訳ではないので、ブログに書いておきます。
「惑星科学は最早、人生の大半を費やして取り組みたいものでは無くなってしまった」
こと。そしてその代わりに、
「人間の心を動かし行動を変えるような、コミュニケーションをつくりたい」
と思うようになったこと。
これが、私が新しい分野に進もうと考えた理由です。
「コミュニケーションをつくりたい」という考えに到達するまでの経緯
・科学が1番面白いと思い、大学院に進学
学部生の頃、科学が一番面白いと思っていました。自然現象の背景にある法則について考え、新たな側面を発見し、先人達が積み上げてきた学問に新たなページを加える。それが自分にとって一番面白くて、やり甲斐があると信じていました。ニュートンのものとされる言葉を借りれば、「巨人の肩に乗って遠くを見る」ことこそ自分がやりたい事だと思っていたのです。
そんな私は、(分野の細目こそ多少迷いはしたものの)あまり深刻に悩まずに大学院に進学しました。分野は惑星科学。はじめから博士課程に進学するつもりでした。
・大学院にて、「感情」の重大さを実感
きっかけは、そうして進学した大学院での体験にありました。「(惑星科学の)研究をするぞ」と鼻息荒く進学した先で、思いがけず「人の感情」に目を向けざるを得ない事態に数多く遭遇しました。自分で言うのも何ですが、タフな経験をしたと思います(誤解の無いように断っておくと、私が博士課程で所属していた研究室での話ではありません。博士課程の研究生活はとても幸せなものでした)。多くの科学者が生活においては感情に支配されている、という事実に私は驚きました(そんなの当たり前だろうと思われる方も多いかもしれませんが、私の頭の中の科学者像は、もう少し冷静な姿だったのです)。
いくつかの経験を経て、人にとっての「感情」の重大さを私は実感しました。
・「科学」から「社会」に視線が移る
平行して、
大学は今より「良く」するにはどうすればよいか?
科学者コミュニティをより「良く」には、どうすればよいか?
そしてもっと広げて、
社会をもっと「良く」するには、どうすればよいか?
と考えるようになりました。
勿論、これは非常に漠然とした問題意識です。この問いに簡単に答えが出て、理想的な改善策がぽんと出るなら、世界はとっくに理想郷になっているでしょう。
しかし少なくとも、自分が脳の大部分と人生の大半を使って考えたいことが、惑星科学そのもので無くなったのは確かでした。
今の社会を、もう少し生きやすい、幸せなものにしたい。
そのために社会に参加して活動したい、と考えるようになりました。
(科学者・研究者が社会に参加していない、と主張したい訳ではありません。ただ、私にとっては物足りませんでした。)
巨人の肩に乗って遠くを見るより、「巨人の指先を動かして、目の前の現実に影響を与えたい」と思うようになりました。
・「最後の課題」はコミュニケーションだと考えた
社会に出るといっても、「自分がやりたい事」と「社会から求められている事」の合わさるところを探す必要があります。
経営コンサルタントが良いだろうか?
技術者だろうか?
社会起業だろうか?
etc…
考えるなかで、大学院生活で実感した「感情」の重大さに思い至りました。
世界には、既に存在する素晴らしい物や活動(科学研究から社会起業など様々)があります。しかし、どんなに正しく素晴らしい活動でも、(その活動自体が莫大な利益を生むもので無い限り)多くの人々から「関心を持たれ」「応援され」なければ続けられません。また、問題を解決する画期的な仕組みをつくったとしても、「なんか嫌」という受け手側の感覚を乗り越えられないだけで、その仕組みが活かされない事もあるでしょう。
社会の中でどんな「良い事」をするにしろ、立場が違う人々の間の「コミュニケーション不全」を解消する仕事が必要だろう。そして、自分はその仕事をしたい。私はそう考えました。
・広告会社との出会い
もともとは、友人が就職した業界として知りました。はじめは、CMとか作るのかなー、といった程度の認識でした。
まだ科学者になりたいと思っていた頃から、科学コミュニーション活動(アウトリーチなど)に参加していた私は、細々と社会心理学や広報・PR・広告といったものについて細々と勉強していました。その過程で、「社会の課題を解決する」ための「コミュニケーション」を「大きな規模で」つくるという一面が広告会社にあると知りました。また、経済活動の中での広告コミュニケーションの背景には、観察に基づく分析や論理的な思考が存在する事も知りました。
広告会社であれば、今の自分の「やりたい事」と「できる事」が、社会や企業から「求められている事」と重なるのではないか。そして一から起業したりフリーで活動するより、「より早く」「大きなスケールで」コミュニケーションをつくる能力を鍛えられるのではないか。
そう考えて新卒採用に応募することにしました。博士課程(それも理学系)からの応募者は異質な存在だったと思いますが、有り難いことに採用して頂けました。
以上が、私の進路変更の顛末です。かなり整理して書いてしまいましたが、実際には様々な理由の重ね合わせで進路変更を決断した面もあります。上記の話にストレートに乗ってこない理由もあります。
しかし少なくとも、思い残すところの無い決断が出来たと感じています。研究を続けている自分より、仕事をしている自分を想像する方が、圧倒的にワクワクします。
民間の大企業では、私がやりたいと思う事がすぐ出来る訳ではないでしょう。が、「自分が取り組みたい事」と「会社が求める事」の擦り合わせに、まずは取り組んでみたいというのが今の私の考えです。
「惑星科学は最早、人生の大半を費やして取り組みたいものでは無くなってしまった」
こと。そしてその代わりに、
「人間の心を動かし行動を変えるような、コミュニケーションをつくりたい」
と思うようになったこと。
これが、私が新しい分野に進もうと考えた理由です。
「コミュニケーションをつくりたい」という考えに到達するまでの経緯
・科学が1番面白いと思い、大学院に進学
学部生の頃、科学が一番面白いと思っていました。自然現象の背景にある法則について考え、新たな側面を発見し、先人達が積み上げてきた学問に新たなページを加える。それが自分にとって一番面白くて、やり甲斐があると信じていました。ニュートンのものとされる言葉を借りれば、「巨人の肩に乗って遠くを見る」ことこそ自分がやりたい事だと思っていたのです。
そんな私は、(分野の細目こそ多少迷いはしたものの)あまり深刻に悩まずに大学院に進学しました。分野は惑星科学。はじめから博士課程に進学するつもりでした。
・大学院にて、「感情」の重大さを実感
きっかけは、そうして進学した大学院での体験にありました。「(惑星科学の)研究をするぞ」と鼻息荒く進学した先で、思いがけず「人の感情」に目を向けざるを得ない事態に数多く遭遇しました。自分で言うのも何ですが、タフな経験をしたと思います(誤解の無いように断っておくと、私が博士課程で所属していた研究室での話ではありません。博士課程の研究生活はとても幸せなものでした)。多くの科学者が生活においては感情に支配されている、という事実に私は驚きました(そんなの当たり前だろうと思われる方も多いかもしれませんが、私の頭の中の科学者像は、もう少し冷静な姿だったのです)。
いくつかの経験を経て、人にとっての「感情」の重大さを私は実感しました。
・「科学」から「社会」に視線が移る
平行して、
大学は今より「良く」するにはどうすればよいか?
科学者コミュニティをより「良く」には、どうすればよいか?
そしてもっと広げて、
社会をもっと「良く」するには、どうすればよいか?
と考えるようになりました。
勿論、これは非常に漠然とした問題意識です。この問いに簡単に答えが出て、理想的な改善策がぽんと出るなら、世界はとっくに理想郷になっているでしょう。
しかし少なくとも、自分が脳の大部分と人生の大半を使って考えたいことが、惑星科学そのもので無くなったのは確かでした。
今の社会を、もう少し生きやすい、幸せなものにしたい。
そのために社会に参加して活動したい、と考えるようになりました。
(科学者・研究者が社会に参加していない、と主張したい訳ではありません。ただ、私にとっては物足りませんでした。)
巨人の肩に乗って遠くを見るより、「巨人の指先を動かして、目の前の現実に影響を与えたい」と思うようになりました。
・「最後の課題」はコミュニケーションだと考えた
社会に出るといっても、「自分がやりたい事」と「社会から求められている事」の合わさるところを探す必要があります。
経営コンサルタントが良いだろうか?
技術者だろうか?
社会起業だろうか?
etc…
考えるなかで、大学院生活で実感した「感情」の重大さに思い至りました。
世界には、既に存在する素晴らしい物や活動(科学研究から社会起業など様々)があります。しかし、どんなに正しく素晴らしい活動でも、(その活動自体が莫大な利益を生むもので無い限り)多くの人々から「関心を持たれ」「応援され」なければ続けられません。また、問題を解決する画期的な仕組みをつくったとしても、「なんか嫌」という受け手側の感覚を乗り越えられないだけで、その仕組みが活かされない事もあるでしょう。
社会の中でどんな「良い事」をするにしろ、立場が違う人々の間の「コミュニケーション不全」を解消する仕事が必要だろう。そして、自分はその仕事をしたい。私はそう考えました。
・広告会社との出会い
もともとは、友人が就職した業界として知りました。はじめは、CMとか作るのかなー、といった程度の認識でした。
まだ科学者になりたいと思っていた頃から、科学コミュニーション活動(アウトリーチなど)に参加していた私は、細々と社会心理学や広報・PR・広告といったものについて細々と勉強していました。その過程で、「社会の課題を解決する」ための「コミュニケーション」を「大きな規模で」つくるという一面が広告会社にあると知りました。また、経済活動の中での広告コミュニケーションの背景には、観察に基づく分析や論理的な思考が存在する事も知りました。
広告会社であれば、今の自分の「やりたい事」と「できる事」が、社会や企業から「求められている事」と重なるのではないか。そして一から起業したりフリーで活動するより、「より早く」「大きなスケールで」コミュニケーションをつくる能力を鍛えられるのではないか。
そう考えて新卒採用に応募することにしました。博士課程(それも理学系)からの応募者は異質な存在だったと思いますが、有り難いことに採用して頂けました。
以上が、私の進路変更の顛末です。かなり整理して書いてしまいましたが、実際には様々な理由の重ね合わせで進路変更を決断した面もあります。上記の話にストレートに乗ってこない理由もあります。
しかし少なくとも、思い残すところの無い決断が出来たと感じています。研究を続けている自分より、仕事をしている自分を想像する方が、圧倒的にワクワクします。
民間の大企業では、私がやりたいと思う事がすぐ出来る訳ではないでしょう。が、「自分が取り組みたい事」と「会社が求める事」の擦り合わせに、まずは取り組んでみたいというのが今の私の考えです。
2011.11.24
はてなブログ、はじめてみました。
ご招待頂けたので、はてなブログをはじめてみました。
From Mars to Earth (beta)
http://toyotake.hateblo.jp/
今後、使いやすいサービスになるのか分かりませんが、期待しつつ使い始めてみます。表ブログに載せたいほどじゃない、とはいえTwitterには長い、そんな中途半端な記事を書いていこうと思っています。
From Mars to Earth (beta)
http://toyotake.hateblo.jp/
今後、使いやすいサービスになるのか分かりませんが、期待しつつ使い始めてみます。表ブログに載せたいほどじゃない、とはいえTwitterには長い、そんな中途半端な記事を書いていこうと思っています。
2011.08.21
私が、「男女共同参画」といった類の問題に興味を持つ理由
私自信は「男性」ですが、「男女共同参画」だとか「女性の社会進出の促進」といったトピックに興味を持っています。
男性がそういった問題に関心を持つのは、(少なくとも現状では)端から見ると不思議に見えるようで、「なんでそんな問題に興味があるのか?」と聞かれた事があります。自分としては自然と興味をもっただけなのですが。なるほど、確かに「普通に」男子として育てられたら、なかなか関心を持たないものなのかもしれません。
個人的な経験が、問題への興味を生んだ
私がこのトピックに興味を持つようになったのは、
「男女共同参画が進んでいないせいで、自分が嫌な思いをした事がある」
からだと思います。
私は母子家庭に育ちました。
ドラマなどに登場する母子家庭は「快活なお母さんが、様々な問題を持ち前のガッツで解決する」ようなポジティブな描かれ方も多いです。そういう家庭もあるのでしょうが、うちは違いました。母子家庭である事や女性である事の様々な困難に直面し、かつそれを克服できなかった母は、社会に対して屈折した見方をするようになってしまいました。
「女は馬鹿にされる」「この世は所詮、男社会だ」といった呪詛の言葉を繰り返し聞かされながら、私は育ちました。そんな言葉に感化されるほど息子である自分も単純ではなく、「いや、女だ男だという以前に、あんたにも悪いところ沢山あるから」と、思春期あたりからは聞き流しながら成長してきた訳です。
母がすっかり偏屈な仕上がりになったのは、第一に母自身のせいだと思います。それはふまえた上で、「もし、女性が一人で働き続ける事がもっと簡単な世の中だったら、母は(社会を恨む事なく)もっと幸せに暮らしていただろうか?」と考えだしたのが、「男女共同参画」というトピックに興味を持ったきっかけです。
この問題を、どう捉えるのが良いのか
自分はこの問題の専門家ではありませんし、普段は横から議論を眺めているだけです。
ただよく思うのは、「多様性が生産性を高める」というように実利を訴求したところで、おそらく皆がこの問題の解決に努力するようにはならないんじゃないかな、という事です。「多様性が生産性を高める」ことや「男性より女性の方が優秀である」という状況は、確実に存在すると私も思います。ですが、利益というものは、
他の種類の利益と天秤にかけられてしまうものです。「女性が参加する事でコミュニティに得られる利益」<「現状のままで得られる利益」という図式が成り立つ限りは、後者が選ばれるでしょう。
そうでなく、人の尊厳の問題として捉えてもらわなければなりません。
自分の母親や妻・娘・姉・妹・恋人・友人が、その尊厳を踏み付けにされるような世の中は嫌だ、と思ってもらう。
大事にしている人が誇りを傷つけられるか否か、という問題であると認識してもらう。
そういう方向にもっていかないと、根本から意識を変えていく事はなかなか出来ないのでは、と思います。
(ましてやフェミニズムなど、別レイヤーの話と絡めて複雑化させてしまうのは、改善への道を閉ざすでしょう。)
男性がそういった問題に関心を持つのは、(少なくとも現状では)端から見ると不思議に見えるようで、「なんでそんな問題に興味があるのか?」と聞かれた事があります。自分としては自然と興味をもっただけなのですが。なるほど、確かに「普通に」男子として育てられたら、なかなか関心を持たないものなのかもしれません。
個人的な経験が、問題への興味を生んだ
私がこのトピックに興味を持つようになったのは、
「男女共同参画が進んでいないせいで、自分が嫌な思いをした事がある」
からだと思います。
私は母子家庭に育ちました。
ドラマなどに登場する母子家庭は「快活なお母さんが、様々な問題を持ち前のガッツで解決する」ようなポジティブな描かれ方も多いです。そういう家庭もあるのでしょうが、うちは違いました。母子家庭である事や女性である事の様々な困難に直面し、かつそれを克服できなかった母は、社会に対して屈折した見方をするようになってしまいました。
「女は馬鹿にされる」「この世は所詮、男社会だ」といった呪詛の言葉を繰り返し聞かされながら、私は育ちました。そんな言葉に感化されるほど息子である自分も単純ではなく、「いや、女だ男だという以前に、あんたにも悪いところ沢山あるから」と、思春期あたりからは聞き流しながら成長してきた訳です。
母がすっかり偏屈な仕上がりになったのは、第一に母自身のせいだと思います。それはふまえた上で、「もし、女性が一人で働き続ける事がもっと簡単な世の中だったら、母は(社会を恨む事なく)もっと幸せに暮らしていただろうか?」と考えだしたのが、「男女共同参画」というトピックに興味を持ったきっかけです。
この問題を、どう捉えるのが良いのか
自分はこの問題の専門家ではありませんし、普段は横から議論を眺めているだけです。
ただよく思うのは、「多様性が生産性を高める」というように実利を訴求したところで、おそらく皆がこの問題の解決に努力するようにはならないんじゃないかな、という事です。「多様性が生産性を高める」ことや「男性より女性の方が優秀である」という状況は、確実に存在すると私も思います。ですが、利益というものは、
他の種類の利益と天秤にかけられてしまうものです。「女性が参加する事でコミュニティに得られる利益」<「現状のままで得られる利益」という図式が成り立つ限りは、後者が選ばれるでしょう。
そうでなく、人の尊厳の問題として捉えてもらわなければなりません。
自分の母親や妻・娘・姉・妹・恋人・友人が、その尊厳を踏み付けにされるような世の中は嫌だ、と思ってもらう。
大事にしている人が誇りを傷つけられるか否か、という問題であると認識してもらう。
そういう方向にもっていかないと、根本から意識を変えていく事はなかなか出来ないのでは、と思います。
(ましてやフェミニズムなど、別レイヤーの話と絡めて複雑化させてしまうのは、改善への道を閉ざすでしょう。)
